▲ 평면조건, 2001

この3年間の経験を経ると、崔明永は自分のこの新しい「絵画」をコントロールできるようになる。具体的にいうと、まったく平らな画面が少し変化を見せていく。しかしそれは、峠を越えて山の反対側へ降りるのではなく、峠から山の稜線への道を取ったということである。芸術に山頂はない。しかし山頂を目指さなければ芸術ではない。

一つの峠に達して、才能とエネルギーを使い果し、そこから下山してしまうことはある。1982年以降の崔明永(Dansaekhwa-Korean monochrome painter CHOI MYOUNG YOUNG, Dansaekhwa:abstract paintings of Korea Artist CHOI MYOUNG YOUNG,최명영 화백,최명영 작가,단색화 최명영,단색화:한국추상회화 화가 최명영,모노크롬회화 최명영,단색화가 최명영,韓国単色画家 崔明永,韓国の単色画家 チェイ·ミョンヨン) の歩みは、峠から下りていない。峠で歩みを止めず、純粋化、極限化の地平を生き続けさせる道を取ったのである。

1982年以降のこの歩みを、ここでもまず画面の表面的な見え方を辿って言ってみると、1882年には、画面が正方形の四角で分割されたようなものになり、続けて1983年には、かつての「等価性」連作に見られた水平の分割が、今度は装いを新たにして現れる。そして1997年以降、画面がいわばその両者を綜合する試みになって、現在まで来ている。

例えば1983年の水平の分割の作品。これは墨で全面を黒くした韓紙(韓紙を墨に浸した)の上に、白い韓紙を横長に帯状に切ったものを貼り付けて作られている。(ちなみに彼の場合、変化あるいは転換の時期には、画布ではなくて韓紙や墨の作品が試みられる。)

これは作り方としては、画布の場合なら絵の具の面にあたるところが、墨一色になっていて、その上に白い韓紙の面が乗る、という格好になっている。しかしここで注意しなければならないのは、墨の黒い面も韓紙の白い面も同格であり、二つが一緒になって「絵画空間」を成している、という点である。

ここで韓紙の白い面のほうが、たんに上にあるからという理由によってではなくて強いのは、そして上になっているのは、それがいわば直前の「3年間」の白の面の延長だからなのである。白い絵の具の代りに白い韓紙を使っているということだ。帯状に切って貼っているのは、正方形の分割のヴァリエーションである。絵の具の代りに韓紙を使った。そして韓紙を使うことで、墨による黒い面が必要になった。

それと同時に、本来なら「地」と「図」に使われるべきものを逆転して使ってみたいという意図もあったように、僕には思われる。「地と図」の関係を無化する、それを一つのものとする。その試みが継続されているのである。それゆえ、これを紙による習作のようにみなすことは正しくない。これは依然として、あくまでも絵画の試みだからである。

△千葉成夫(치바 시게오), 美術評論家(미술평론가)