▲ Conditional Planes, 88×48㎝ Oriental ink korean paper, 1977

この作品群をいわば助走段階にして、崔明永の作品は次第に「オール・オーヴァー(all over)」の、塗り跡の筆触をほとんど残さないものとなり、1979年から1981年にかけて、試みの頂点を迎える。例えば油彩の場合には平らに、何層も何層も塗り重ね、結果的に画面が「オール・オーヴァー」になる。

画面の四周の端を注意して見ると多層の塗り重ねになっていることが判るけれど、少し離れて見ても、塗り重ねの厚みが自ずと熱気、情念、アウラを生み出していて、それが、観客の眼に造形的(空間的)かつ心的な厚み、揺動というか動き、そしてある種の感動をもたらしている。

それは、画面を平らに(オール・オーヴァーに)しようとか、抽象絵画にしようとして、そうなっているものではない。もっと根本的に「絵画が平面的であるとはどういうことなのか」、つまり「絵画の平面とは何か」という問いかけに発する試みなのである。「絵画平面」を「絵画平面」として成り立たせている「條件そのもの」の探求だということである。これは、一般論としていうなら韓国の「モノクローム派」に共通する関心事(の一つ)だった。

 

そのなかで崔明永(한국단색화 최명영, Korean monochrome painter CHOI MYOUNG YOUNG, Dansaekhwa CHOI MYOUNG YOUNG, 최명영 화백, 단색화가 최명영, 최명영 작가, 단색화 최명영, 韓国単色画家 崔明永)が特異なのは、試みを純粋化、極限化していく点である。

他のすべての要素、構成とか筆触とか色彩といった要素を削ぎ落として、構成を排除して、平らな塗り方と単色だけに、自分の試みを限定していくのである。彼は、眼に見える世界のなかにあるもの、そして想像のなかに浮ぶもの、その「形」を「再現」するという従来の方法の外側で、「何を、「如何に」描くのかという核心に直接、真っ直ぐに向う。

△千葉成夫(치바 시게오), 美術評論家(미술평론가)