▲ Re-Genesis, 91×116㎝ Korea Lacquer Painting with Nature Materials on Hemp Cloth, 2001

 

李貞演は、かたちから始めて、かたちが溶解するところまで到着したとき、あらたにかたちを求めた。それも何かのかたちとか、何かのシンボルとしてのかたちではなく、もっと根源的なかたちを求めたにちがいない。そしておそらく半ば以上は無意識につかみとったのが、この骨のような竹のようなかたちなのだ。

しかし、ここで起っていることは、期せずしてか、かたちそのものの発生といえるのではないか。生命や物事の始まりの暗示的表現のように見えながら、あるいはそういう体裁をとりながら、じつは、絵画におけるかたちの発生それじたい、そういう「こと」に、僕は立ち会っているような気がする。

 

▲ 162×130㎝

 

人生の折り返しの年齢をむかえて、人工的でない、自然の素材に限定し、特異なテクスチャー、しかし自分が子供のころから憧れ親しんできた肌合いを作り出しながら、それが自分自身に語りかけてくるものに耳を傾けるなかで、このようなかたちに出会っている。

そう言ってもおなじだ。ちなみに彼女自身はこの骨のような竹のようなかたちについて、それが何かのかたちであるということよりも、そのかたちの中が空虚であることを重視しているようだ。かたちはむしろ「空虚」から生まれる。

 

▲ 193.5×259㎝

 

本源的な空虚というものがある。それにこそ耳を傾ける。そうすると、その「空虚」が動く。かたちの方へと動くのである。そう、李貞演はここまで到達してきた。そして、しかしここは始まりの場所、発生の場所である。自然そのものの肌のようなテクスチャーと、そこからまるで原初の生命体のように誕生するかたちとから成る、ひとつの新しい絵画の始まりである。

そして、あるいは、そういうかたちとそういうテクスチャーとが平面上で出会うことじたいを核とする。ひとつの「出来事」、その始まりでもありうる。この「出来事」に、名前はまだない。いつも通りに絵画と呼んでもいいのだが、そう呼んでしまうと、彼女のこの作品の特性が薄れてしまうように思われる。絵画ではなく、そういう、ほんとうは未だ未知の出来事に、彼女は出会いを始めているのではないだろうか。

 

▲ 72.7×91㎝

 

李貞演はそういうところまで到達してきたのである。そうして、もちろん、こういうところまで到達しているのは、彼女だけではない。それは、美術の全体がいま到達してきている場所だ、そう言ってもいいのである。

▲글=지바 시게오/미술평론가(千葉成夫/美術評論家, Chiba Shigeo/Art Critic)

 

▲ 画家 イ・ジョンヨン(화가 이정연)

 

◇평론요약(評論要約)

일본의 미술평론가 지바 시게오(千葉成夫)씨는 2001년 5월 서울에서 화가 이정연(Rhee Jeong Yoen)의 ‘신창세기(Re-Genesis)’ 연작전시를 관람하고 평했다. “이정연(李貞演)자신은 이 뼈와 같은, 대와 같은 모양에 대해서, 그것이 어떤 모양이라는 것보다도 그 모양 속이 비어있다는 것을 중요시하고 있는 것 같다. 모양은 오히려 ‘공허(空虛)’에서 생긴다. 근본적으로 공허라는 것이 있다. 그것에 귀를 기울인다. 그러면 그 공허가 움직인다. 모양 쪽으로 움직이는 것이다. 아직 미지의 사건에 그녀는 마주치기 시작한 것이 아닐는지. 이정연은 그러한 곳까지 와 있는 것이다.”

 

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