대구미술관  ‘기(氣)가 차다’  전시전경 <촬영:이만홍>

上の白い層は、従来通り、幾層にも塗り重ねられている。あの「3年間」の塗り重ねは各層が全く均等に平らだったので、その塗り重ねが生み出す「広がり」は、そこ、画面上で完結していた。ちょっと観客を寄せつけない厳しさがあり、またそれが素晴らしかった。今度は画面が二層構造であり、そこに生れている「広がり」が、はっきりと見える。

観客の方はいわば緊張から解放された状態でそれを見、味わうことができる。観客がここで受ける「解放された」感じは、一つの「可能性」、ないし一つの「肯定」の感触である。でも、それは再び絵画に、従来の絵画に回帰することで生れているものではない。崔明永は極限の地、峠のところで、従来の絵画を踏み超えてしまっている。それを踏み超えながら、狭い可能性、稜線という可能性の道を歩んでいる。狭い地平、限られた肯定の地平のなかで試みている「絵画」なのである。この点を見誤ってはならないのだと思う。

 

描く崔明永(Dansaekhwa-Korean monochrome painter CHOI MYOUNG YOUNG, Dansaekhwa:abstract paintings of Korea Artist CHOI MYOUNG YOUNG,최명영 화백,최명영 작가,단색화 최명영,단색화:한국추상회화 화가 최명영,모노크롬회화 최명영,단색화가 최명영,韓国単色画家 崔明永,韓国の単色画家 チェイ·ミョンヨン)にとっては、均等に平らに塗るという、僧侶の修業のような制作仕方に幅ができた。

例えば写経という修行でいうなら、経文をそのまま書き写すにしても、字体を自分なりに変えることができるようになっている。いずれは経文の代わりに自分の文章にする、そんなことも起り得るかもしれない、とすら夢想してみる。

そういう一種の余裕が、均等で平らな塗りを、かなり自由なものにしている。あの「3年間」は筆は水平に運ばれていたのにたいして、今度は垂直にも動いている。しかし斜線とか曲線はなく、全体の構造が緩んでいるわけではない。でも、縦と横に筆を動かすことができるだけでも、画家の身体が格段に自由になるだろうことは、想像に難くない。この自由な感じが作品に反映し、横溢している。そして観客もそのお相伴にあずかるのだ。

本当なら苦しいかもしれない稜線の登りくだりを、導師に導かれて観客もゆったりと辿るのである。ゆったりとは辿るけれど、それはこれからもずっと狭い道なので、「ゆったり」といっても緊張に満ちているし、そんなに楽な道ではない。

乾燥が速いアクリル絵の具に変えたことで、塗り重ねについても、以前より自由度が増している。以前は一層を塗ったら、それが乾くまで待たなければならなかった。今度は、画家はつねに画面全体を見ながら、そのどの箇所にも、適宜、自由に筆を走らせることができるようになっている。塗り重ねが、縦方向にも横方向にも、いつでも自由自在になったのである。だから、あの「3年間」よりは、制作の仕方も結果の作品も、より絵画的になっている。

△千葉成夫(치바 시게오), 美術評論家(미술평론가)