▲ 내적시선(Meditate in Silence), 53×45㎝

私はソウルで育った. 今は人工構造物でいっぱいの都市だが,幸いにも私の幼年や青春期には自然と調和したところだった。 そのため,私は人が集まり,日々先端大都市に変わっていくソウルのエネルギーを思う存分得ながらも,まだ自然との交感に汲々としない人間に残っている。

ソウルのあの素敵な建物に感嘆詞を発した瞬間,その場で育った木と草と花の風景を憶える私の姿を発見したのだ。きれいに整頓された漢江(ハンガン)沿いの通りを自動車で行き来しながらも,やはり"私は私の幼年の荒い葦に生えていた夕焼けの色と真冬でパンパン"という音を立てながら,青く氷が凍っていた川を思い浮かべる。

ソウルは一昨日も今も皆美しい。 その自然と人工の距離の間に私の人生が広がっている。 私が構想的な伝統が強い韓国画を学んでからも抽象に導かれたのはそのような理由からだろう。自然だけでも,人工だけでも私の人生は描けない。自然と人工が重なるある場所には私が息をしているからだ。

むろん,人生の席が巨大な人工の空間になるほど,私が自然に陥ることは事実だ。それは単に趣向を意味しない。自然は誰にでもそうであるように,私の存在の根源であるからだ。まず,自分自身が自然の一要素として生まれ育ち,年老いて死ぬ道の上にある。

自然は,今の私が停止した確固たる実体ではないということをはっきりと示している。私は過去から来て未来に向かって動く一つの生命だ。一本の草,一本の木が深い山の泉から湧き出て,巨大な漢江(ハンガン)にまで到達した水がそうであるように,私も(한국화가 송수련,한지화가 송수련,송수련 화백,宋秀璉,SONG SOO RYUN,송수련 작가,Hanji Painter SONG SOO RYUN,종이회화 소웃련,한지작가 송수련,여류중견화가 송수련,KOREA PAPER ARTIST SONG SOO RYUN, KOREAN PAPER ARTIST SONG SOO RYUN)日々変わって行く。

それで生命は動きなのだが,私は自分の存在に染み込んでいるその時間の深さをそこに刻まれた人生の意味と表情を描こうとしてきた。これまで私の絵を彩るテーマが成就するかどうかとは別に,すべてそのような自然の理を盛り込んでいる。

△宋秀璉/作家ノート